2019年10月旅行 六地蔵

去年六地蔵行った時書こうとしてた内容が下書き状態だったのでアップします

 

 

 

 

先日の事件へ自分が何を感じているか、未だに適切な言葉が見当たらない
自分の中で怒りとも憎いとも悲しいともなんとも言えない気持ちと現実感のなさであったり、いやそもそも現実を受け入れたくないという気持ちが渦巻いていたままでいる
個人的には事件に対しあまり怒りの感情は抱けずにいる(犯人が悪くないという意味ではない)

 

通称""無敵の人""、いわゆる社会的弱者による犯罪を第三者的に見た時、突き詰めていけば""個人""がその気になれば大量殺戮ができる道具を簡単に手にすることができる現代の利便性と、誰かが社会的弱者に絶対になってしまう人間社会の構造が生み出した""自然災害""に近いものなのでは?と思えてしまう
そりゃ犯罪ってのは実行した人間が悪い、そんなの誰だってわかる
じゃあ何が原因なのか?どうすればよかったのか?今後どうすればいいのか?と考えると自分は沈黙してしまうし、きっと誰も答えられないのだと思う

こんなことが毎日頭をぐるぐるよぎっていて、色んな感情が湧き出していて、とにかく何でもいいからこの件について一つの区切りをつけるきっかけが欲しいと思い広島道中への途中下車というか形で無理矢理京都を組み込むことにした
件の会社と完全なる部外者の自分がいつまでもウジウジ考えてるのはなんだか情けない話だよな
事件の現場を目の当たりにすることで、改めて現実として受け入れられるだろうとも思っていた
まぁあと普通にユーフォの舞台も行ってみたかったし

 

そして実際に六地蔵駅に着くと、つい三ヶ月前にあんな事件があったとは思えないくらい静かだった 
あまり写真は撮っていないけど、駅からちょっと歩いた川はこんな感じ
どことなくユーフォで見覚えあるね

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ただ、最終的には事件現場には行かなかった
色々胸がザワザワしたまま有るいてて、やっぱりそもそも本当に行っていいのか?とか色々考えたけども、こんなものがあって割とすぐ足が止まった

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これを見て思ったのは、自分のような部外者がこれ以上足を踏み入れるべきでないのでは、ということだった
事件そのものが地元の人たちの精神を揺さぶって日常を奪ったのは間違いないけども、そもそもこんなものが置かれている時点で、事件と直接的に無関係な人間の訪問がどういう風に地元の人たちの日常を脅かしたのか、そこも察するに余りある
だからこそこういうものがあるのだと思うし、それでも今いる人たちの今の日常や風景があって、ならば今は関係ない人間はなるべく足を踏み入れるべきじゃないだろうと
ちなみに進入禁止しているわけではない、だけどなんとなくあの場所に住んでいる人たちが取り戻そうとしている日常に対して邪魔をしたくないなぁという気持ちが湧き上がった
きっと現地の人たちは前を向こうとしているんだなと思った
駅を降りる人々や、歩いている人、この道沿いの一軒家から出てきた子供を連れた家族を見てそう思った

 

だからすぐに駅に戻って、ホームで目を閉じて少し黙祷の形をとって、六地蔵駅を出た
それからこの旅の中で、この事件についてはほとんど考えなかったしその後合流した友達ともこの話はしなかった
良い区切りはできたのかもしれない
駅の写真多少撮った


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